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日常生活でのできごとや思ったこと。
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『純情エレジー』/豊島ミホ
短編集でした。 うら若き男女の性を描いたものが多い。この性は、性交という意味の。 それが、どの輩も愛しみのない即物的で薄幸な感じな「Hをしている」んです。 「セックスをしている」のではなくて「Hをしている」んです。 あ、唯一「春と光と君に届く」という作品だけしていませんでした。 だから、この短編集の中ではこの作品が一等引き立っているし、印象的。 私は、セックスすることを「Hする」と表現することを侮蔑しています。 なぜなら、呆けていて愚かな感じがするから。 セックスが高尚で崇高なものだというわけではないんですが、「Hする」という表現にはいかにも考えなしな色調がある。 あえて馬鹿っぽくしたい場合や茶化したりしたい時に「Hをする」という表現するのは構わないけど。 まぁ、あとは10代なんて大概が馬鹿だからHをするでもいいかな。 ちなみに「いやらしいことをする」や「スケベなことをする」というのはあり。 ものすごい独断と偏見ですね。 結論。 「Hをしている」と感じる小説に対しては、描かれているだろう切なさや良さが見出せない。 いや、正確に申しますと、見出せなくなってしまっていた。 ![]() 広尾の有栖川宮記念公園です。子どもが池で釣りをしていました。 さて、今日は、申込していた講演会へ行ってきました。 お題は、「R25がヒットしたワケ」。 講師は、R25事業開発 ゼネラルマネージャー藤井大輔氏です。 とても面白い内容でした。 ヒットなるものはこうして世の中に生み出されてくるものなのかと。 全てのヒットがそうであるというわけではないにしても、インサイト(洞察力)というのは重要であると感じました。また、インサイトを生み出すには、調査研究の礎や己のイデオロギーに溺れない、凝り固まらない柔軟な思考が必要であると。 これは何もヒットを生み出すためにだけ言えることではないなと、唸ってしまうのでした。 R25の編集長を務めていただけあってか藤井大輔氏は、実年齢より若々しく見えましたし、話し方などにも奢った感じがなく、良い意味で普通の方(尋常じゃないことを成し遂げているはずなんですが)でした。 面白くてあっという間の1時間半の講演でした。 講演終了後にあわよくば藤井氏に「これからもR25を楽しみにしています」と伝え、握手を求めようと思ったりしたのですが、会場内にそんな気配はなく、恥ずかしがり屋で小心者の私は後ろ髪を引かれつつ会場をとぼとぼと後にしました。 もともとR25は好きでしたが、今日の講演でこうやって生み出されているのかということを知り、ますます好きになりました。 講演後は、有栖川宮記念公園をぶらつき、広尾の街を少しばかり徘徊し、帰路につきました。 休日に家でゴロゴロゴロゴロと生産性のない時間を過ごすことはなかなか止められないけれど、確かにこうして外へ出てみると有益なこともあります。 先日、携帯電話を新しくしました。
今度の携帯では「ひつじのしつじくん」が待ち受け画面をうろついています。 鈍太郎が携帯を新しくしたときにこのひつじがウロウロしていて羨ましかったので嬉しいです。 でも、鈍太郎の携帯でウロウロしているこのひつじを初めて見た時にこいつは何者なの?と、たまたま居合わせたとある女の子に尋ねたら、「知らないんですかー、これはヒツ爺ですよ」と教えてもらったんですよね。 微妙に呼び名違うじゃん。 でも、私は「ひつじのしつじくん」ではなく、「ヒツ爺」と呼んでいます。 ここまでは長いですが、余談。 で、本題です。 なんとそのヒツ爺なんですが、モーニングの衣装を着ていたはずなんですが、さっきから浮かれた格好してるんです。 服はアロハらしきものに変わり、頭にはグラサン、背中には浮き輪・・・。 すっかりサマースタイルなヒツ爺。 なんだか憐れです。 そんな姿になっても、どんなにウロウロしても、待ち受け画面以上のところには行けないんですよ。 切な過ぎます、ヒツ爺。 しかも、ヒツ爺、よく転ぶんです。脳とかに異常があるんじゃないかしらというくらい。 この携帯を手にした日、ヒツ爺の動きを見ては、ああだこうだと喋っていたら、姉に「あんたが寂しい人みたい」って言われました。 ヒツ爺の哀愁を共に背負う私なのでした。 ★『おんなのひとりごはん』/平松洋子
実存するお店をモチーフにしたおんなのひとりごはんを小説仕立てで。 (↑ちょっとフレンチのメニューみたいでしょ。) 小説という読み物としてはちょっと物足りなさがあるけれど、ひとつのガイドブックだと思うととても面白いし、お得な一冊です。 巻末にはフードジャーナリストならではの気の利いたコメントつきで小説のモチーフになったお店以外にも数々のお店が紹介されています。 いくつかのお店を手帳に書き残しました。 この小説のような価値あるひとりごはんにはならないけれど、私は専ら昼休みのランチは基本的にひとり希望です。 たいしたお店に行くわけじゃないし、懐具合もあって同じところになりやすいですが、ひとりになりたい。 今の職場は周辺に食べるところがなくて、サイゼリアや老夫婦二人で細々とやっているお蕎麦屋さんに行くことが多い。 週のうちほんの数回だけ職場の自転車を拝借してちょっと遠出をして新規開拓するけれど、これが面白いくらいハズレる。 道に迷いすぎて時間がなくなり営業しているのか怪しい私以外に一向に客の来ない中華料理店に入ってしまったり(でも、ここのお店のおばあちゃんは帰り道を丁寧に教えてくれました)、これで1000円もするの?という代物を食べたり。 ラーメン屋さんで一軒わりと美味しいなと思うところがあったけれど、再び行こうという気になれないくらい遠かったり(一駅分は軽く自転車走らせました)。 もうひとつ、これはひとりごはんの思い出。 新卒で入社した会社時代、社会人になって一人前だわ!という意識が高じ、また実家住まいでなかなかひとりになる機会がなかったこともあり、最寄り駅の居酒屋さんにボトルを入れて、仕事帰りにたまに一人で立ち寄って飲んでました。 カウンターで座って飲んでると、お店の主人や並びの一人客(安居酒屋だったからおじさんばっかだったな)と自然と話をするんですよね。 たぶん、そういうことができる自分というものに悦になってたんでしょう。 若さだったのかな。 今思うとよくできてたなぁと思います。 『ゆきてかへらぬ 中原中也との愛』/長谷川泰子 述・村上護 編
中原中也プチシンドロームです。 そういや学生の頃に講義で聞いたのか何かの本で読んだのか、とある女性が中也と小林秀雄にはいたことを思い出して、読んでみました。 17歳にして年上の女性と同棲してしまう中也もすごいけど、恐るべし長谷川泰子さんです。 中也との同棲から小林秀雄との同棲、出産(中也でも小林秀雄の子でもない)、富豪中垣竹之助との結婚…。 潔癖症で何ひとつできない泰子に対する小林秀雄の思いやりというか献身ぶりに、また小林秀雄を失った泰子、そして自分の元にいなくとも何かと泰子の世話を焼く中也、この三人の関係性には読んでいて泣きたくなってくる苦しさを感じました。 長谷川泰子の波乱に富んだ人生に感慨深さを覚え、更に語られる交流関係には中原中也、小林秀雄以外にも大勢の文士が登場し、面白さがあります。 『玩具の言い分』/朝倉かすみ
「グラン・トゥーリズモ」「誦文日和」「寄り目インコズ」「小包どろぼう」「孑孒踊」「努力型サロン」の6編からなる短編集です。 どの作品も素直で押し付けがましくなくて、飽きのこない短編集。 齢10代、20代ではないそれぞれの主人公の女性には、ストーリーの中でいちいち語らなくとも人生の機微が伏在していることが感じられ、そこが一層深い味わいをもたらしている感じがします。 「小包どろぼう」が好きでした。 私のところにはいつ小包が届くようになっているんだろうとぼんやり考え、もしかして届いたはずの時に不在にしてたんだったりして、と思ってみたり…。 それにしても恋愛というものが包括する色々な感情、欲求を上手に描いているなぁと感服します。 |
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