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日常生活でのできごとや思ったこと。
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もう6月も明日一日を残して終わります。
ということは、今年ももう半分が終わりますね。 だからどうということがあるわけじゃないけれど…。 上半期を終えるという今日この頃…えー、わたくし、未だなにやら癒されず、凹んでいます。 忌々しい記憶に囚われ、ますますもって人間性に歪みが生じているように思います。 卑屈な想念が怒涛のごとく湧いては膨れあがっていきます。 臆病風が突風のごとくぶんぶんと吹き荒れます。 卑屈上等!(嘘) 可能な限り品よく過ごしたいところです。 ★『きみはポラリス』/三浦しをん
じりじりと読んでました。 短編が11篇も収められてます。 どの作品もアンソロジーや文芸誌上で既に発表済みのもの。 それらを恋愛を軸に一冊にまとめられたようです。 “恋人のために、恋人の目の前でひとを殺すのだ。それほどまでの深い思いを見せられたら、もう二度とほかの誰も愛せない” 「私たちがしたこと」より 恋人を永遠に自分に縛りつけたいと願うとき、一番有効な方法…。 恋愛は狂気です。 “「浮気をしない男はいるよ。もっともらしく、『そんな男はいない』という人間は、本気を貫く男にまだ会ったことがないだけだ」” 「裏切らないこと」より 浮気とは、“本気だと誓った相手を裏切ること”…。 むぅ。本気を貫く男に出会いたいものです。 一番私が好きだった作品は、「春太の毎日」。 こんな恋人がいたらいいな、と思って読んでたら気がついた。 犬だった。 春太みたいな犬が欲しいな。 もちろん犬じゃなくて春太みたいなヒトでもいいんだけどね。 あとは、「森を歩く」と「優雅な生活」が好みでした。 明日へと続く一日を穏やかに終われないことほど恨めしいことはない。
教訓、思ったことを口にしない。 手作りのお菓子を持参した女子の前で、「手作りって大嫌い」と言うのは駄目だったみたい。当然か…。 感じ悪い、大人げないと、罵られました。 そして、私はその場を逃げ去りました。 なんなんでしょうね。 過去に同じ学び舎で机を並べたというだけで懐かしさって湧いてくるものなんでしょうか。 罵りの中に 「あやに会うの楽しみにしていたんだよ」 という言葉がありましたが、本当にそうなのでしょうか。 楽しみにされるほど親しくしていた記憶は私にはないし、これまで連絡なんて取ったこともなければ、連絡先すらも知らなかったし、知ろうとすら思わなかったはずです、お互いに。 それが、たまたま回りまわって、たまたま会うことになっただけ。 お互いの再会の必要性なんか無関係で会っただけじゃないですか。 彼女が私との再会をどう想像していたのかわかりませんが、おそらく望んでいたものとはまったく違ったのでしょう。 希望に添えなくてごめんなさい、と嫌味を言ってやりたくなります。 何十年振りかに会った人間を前にして、空白の時間がなかったかのように振る舞えと求められても、私にはできませんし、そもそも私はちっとも彼女に会うことを楽しみにしていなかったし、むしろ正直言って会いたくもなかったです。 大人げないといわれれば、それまでです。 それに普段から自分のことを大人げのある人間だと私は思ってません。 だから彼女の放った「大人げない」という言葉に対しては確かにとしか言いようがない。 勝手なんですが、私、落ち込んでます。 それに憤りを感じます。 確かに酷いことを言ったのは私なんでしょうね。 彼女はみんなが喜んでくれる、喜んでもらいたい、とこの日のために手作りのお菓子を一生懸命作ったんだろうというのは想像できるし、わかります。 手作りが悪いと私も思ってないです。 ただ、なんというか、私は手作りが恥ずかしいと思っているところがあるし、羞恥心なくそれをできちゃう女の子というのが苦手かな。 さりげなくそういう女性性を見せてくる女の子に対して、意地悪い気持ちになるんです。 さりげなさが嫌なのかも。 いろいろごちゃごちゃ書いているけれど、私は彼女のことが気に入らなかったんでしょう。 先日、会社の先輩のお宅で手作りケーキを出してもらった時にはレシピを教わったりしたくらい素直に感動したし、仲良しの女の子の手作り料理とか好きだし。 はぁ。 不要だと思って温めてこなかった人間関係がふいに舞い込んで、それに対応しきれない自分の度量が悔しい。 一昨日は、コンパニーでした。
お仕事帰りにお友達と待ち合わせ、コンパニーまでの空いた時間に雑貨屋さんを覗いてお揃いのカチューシャを買って、お茶をして、早速買ったカチューシャを身につけて…いざ。 男子6名、女子5名と賑やかです。 女子は、前回のコンパニーと同じで、定着しつつあるメンバー。 それに対し、男子陣は幹事の男の子が中心となって招集したメンバーで男子同士互いに初対面だったりしたようです。 なので、今回のコンパニーは男子陣同士の交流をも備えたダブルコンパニーでした。 そしてそして、招集男子達は幹事を除き皆さん年下でした。 最年少男子23歳。うひょ。 男子側幹事の男の子がわりとその場を仕切ってくれて、コンパニーらしく席替えなんかも行われました。 コンパニーというその特殊な雰囲気自体に興味がある私としては、席替えをくじで行うというコンパニーならではといった催しはたいへん愉快でした。 適度な会話をしつつ、ビールをガブガブと飲みました。 皆さんの腹の中はわかりませんが、三々五々、和気藹々とした会だったと思います。 ちなみに私は皆さんにきちんとさようならのご挨拶をしないまま、すぅ〜っと、人混みの中に一人フェイドアウト。 この日、別の場所で行われていた別の会があったので。 コンパニーだけでこの日が終わっていたら、今頃、私は穏やかだったのに。 身体のあちこちに痣なんかできなかったのに。 ★『サイドカーに犬』@科学技術館
一昨日、試写会に行ってきました。 観ようと決めていた映画を人様より一足早く観れたこの優越感、満足感。ありがとう、お姉さま。 面白かったです。 原作を読み返してもう一度観たいくらい。 薫が自分と同世代。 その分、薫の格好や小道具の細部まで楽しめました。 要となるヨーコさん役の竹内結子さんが私としてはちょっと物足りなかったかな。 女優なのだから演技で構わないのだけれど、いかにも演技として見える。彼女に対する勝手な先入観、固定観念がそう思わせてしまうのだろうけれど。 それにしても、古田新太はズルイ。 あの顔を見ただけで思考停止、演技がどうのとか考えないもん。 そのほかチョイ役の俳優さん達もなかなか豪華。 椎名桔平に温水洋一、樹木希林などなど。 樹木希林の大物っぷりに圧倒されました。 全体的に愉快な流れだけれど、子どもたちの小さな気持ちやヨーコさんのやるせなさにほろっときます。 もし、私が愛人なるようなことがあるならば、正妻に頭突きを喰らわせるくらいの覚悟をしたいものだと思いました。 頭突き、頭突き、頭突き、頭突き。 ワンッ! ![]() ![]() 今日は紫陽花をいただきました。 3種類の紫陽花です。 たくさんいただいたので花瓶のほかにガラスの器にも生けました。 お花の色って神秘的だなと思いつつまじまじと眺めています。 ○花言葉○ 「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」「元気な女性」「無情」 by.花言葉辞典 ★『片付けられない女は卒業します』/辛酸なめ子
私も片付けは苦手。 ある意味おおらか、適応能力・順応性が高いというセンスを持ち合わせた私は散らかった部屋の中でも寛ぐことができてしまいます。 が、私なんてまだまだカワイイもんでした。 さすがはリスペクト辛酸なめ子様。 片付けられない女であることで一冊の書籍になるだけのことはあります。 二回目のマンション購入を機に片付けられない女を脱却すべく散乱し、堆積した物達と敢闘するその姿からは「不可能はないんだ」ということを教えてくれます。 せっせと何十袋分のゴミを捨ててもなおクリーニング業者に19万円を支払わなければならない惨状というのは私のような凡人には想像すらできません。 そして、共に暮らした膨大なゴミとおさらばし、購入した新築マンションの部屋に置く家具などに強いこだわりを持ち、あちこちと精力的に東奔西走する様に対して私はまたさらに心服してしまいました。 勤務終了後、なんとなく帰宅するのが億劫になる。
↓ まだ仕事をしている後輩の脇ににじり寄りぐだぐだうだうだと無為な時間を過ごす。 ↓ やっとこさ職場を出たものの空はまだ明るく、帰宅モードにならない。 ↓ お友達のゆきちゃんに電話。 ↓ 休日に池袋のような繁華街へと一人で繰り出すという偉業をなせるゆきちゃんをゲット。(σ・∀・)σゲッツ!! ↓ 学生臭漂う高田馬場で、学生に囲まれながらお酒を飲み、おしゃべり。 ↓ 満足して帰宅。 秋頃にはまた「くるくるボンボンの会」をやろうね、とか「第三の男」の条件とか、ひとしきりおしゃべりして、笑って、もやもやしていたものがだいぶ浄化されました。 ★『神田川デイズ』/豊島ミホ
男女6人の大学生の「学生という時間」がそれぞれの視点やら境遇で綴られていきます。 6人がそれぞれに抱えるストーリーの中に他のストーリーの人物がちょい出してきたりとなかなか凝った構成でした。 大学生活が忘却の彼方へとなりつつなる今日の私には、もはや懐かしさよりも彼らが放つ若さや自意識、展望、野望にちょっぴり辟易気味に。 でも、自分が彼らとの相違点を見出せるかというと、そうでもないんです。 若さというのはともかくとして、自意識は未だ過剰だし、諦めきれぬ展望、野望だってあるし。 ってことはよ? 私はまだ青春グラフティを紡ぎだしている!? ★『ダーティ・ワーク』絲山秋子
7話から構成されてる一冊。 短編かと思いきや、シンクロされてました。 諦念の中の一縷の望み、そんなものを垣間見た気がします。 絲山秋子の作品で描かれる人物をいつも低温だなと私は感じてしまいます。 でも、血が通っていないといのとは違う。 私は、単純にぐわっと胸が熱くなって、心をぐらぐらと揺さぶられるようなものが好きだからそう感じるのかもしれない。 「牛ゲーム」、私の中で流行ってます。 今が楽しければいい。
そうね、楽しければそれでいい。 いいはず。 「今」に飲み込まれてませんか。 飲み込まれてしまう過去や未来が気にかかりやしませんか。 ★『ああ正妻』/姫野カオルコ
男(サラリーマン)の性と女(主婦)の性が激しく過剰に描かれてます。 小早川正人とその妻雪穂のハチャメチャな思考回路と傍若無人な振る舞いから成り立つ二人の生活を楽しくズズイと読み進めていたのですが、第六章“川田教授の藁半紙”で遅々として読書スピードが低下。 川田教授の試みた検証・分析は面白いのだけれど、x軸・y軸を文字で追っていくのは数学嫌いの私には非常に怯むところでした。 とはいえ、苦戦しているところに図表が出てきて、ホッ。 カトリックのトリック、おさんぽ、小早川正人の反撃あたりでは笑わせてもらいました。 フィクションの中に作者自身を思わせる登場人物が投影されている点もこの作品の面白さのひとつ。 ![]() いただいたお花。カンパニラというお花です。 ほんのりした白とピンクが優しい気持ちにさせてくれて、歌っているような感じのお花の形は陽気な気持ちにさせてくれます。 どうもありがとう。 ○花言葉○ 「感謝」「誠実」 by.花言葉辞典 “自身に起きる大きな変化”というものを私はあまり望んでいません。
“変わる”“変える”ということにしごく消極的。 そのくせ、平坦な日常、現状はどこか心もとなく、いつも漠然とした焦燥に駆られています。 “変化”が恐ろしくあるはずなのにおかしなものです。 面映ゆいことだけれど、“ここではないどこか”願望というものが私の中にあるのだと思われます。 しかも、性質が悪いのは、大した勇気も持たない意気地なし派の人間としては“ここではないどこか”への開拓を他力によってもたらされることを望んでいたりします。 しかも、たとえ折しも他力によって“ここではないどこか”が拓かれようとしたとしても、“変化”に対して消極的な私はいざという段になって及び腰になると思うんです。 ですから、その他力というのは抗えないほど強力でなければならないというのがポイントです。 とはいえ、うすうすというか、とっくに気がついているんですよ。 “ここではないどこか”なんて…。 とどのつまり現実逃避なんですかね、これは。 “ここではないどこか”願望をこのまま捨てきれず、どんどこどんどこ歳をとり、本当の“ここではないどこか”に逝くのではないかと思えてきます。 嗚呼、なんて未練たらしいお話なんでしょう。 自力によって海外逃亡(フィージー経由オーストラリアでワーホリ約一年半)を決意した友人のせいでむくむくと生じてきた我が思考。 私は日本はもとより自らの内にある小さな小さな世界すら出られずに右往左往、小さな小さな世界をさまよっています。 |
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