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日常生活でのできごとや思ったこと。
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一人暮らしをするこの部屋にテレビはなく、見るとしてもPCに接続したワンセグチューナーで受信する粗雑な映像のものです。
テレビが嫌いなわけではありません。 ただ、置いたら置いたで、さして見たいわけでもないのに点けっ放しなるおそれが多分にあり、またテレビをうるさいと感じることがしばしばあるので、「いいや」という結論で約1年間が経過しました。 見たければワンセグで見るなり、実家で見れば十分。 そこまで見たいと思う番組などは今のところないですが。 というわけで、差し当たり不便に感じたことはなく、おそらくこのままテレビは存在しないままの日々になりそうです。 でも、この狭い部屋で一人、無音で生活するのはなかなか落ち着かない。 そこで、音楽を聴きます。 とはいえ、何事にもそうそう情熱を持たない私は音楽に関しても強い興味やこだわりがあるわけではありません。 音楽を聴くのもPCですし。 いろいろ聴いています。 でも、一番聴くのはなんとクラシックです。 もちろん、詳しくありません。 なのに聴くのは、クラシックはおおむね歌詞を伴わないからです。 歌詞が伴うと、どうしても歌詞を聴き取ろうしてしまい、他のことをする時に気が散るんですね。 気が付きました、聴くというより流すですね、これは。 流していてしっくりくるのは、やはり通称「G線上のアリア」や「カノン ニ長調」、「アヴェ・マリア」、シュープラー・コラール集の「目覚めよと呼びわたる物見の声」といった誰もが耳にしたことのある曲であるあたりが、残念な感じです。 最近お気に入りは、「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」。 でも、これクラシックではないらしい。 クラシカル・クロスオーバーというらしい。 ふーん。 バッハのオルガン曲などの教会音楽なんかは、部屋を暗くして、さぁ寝ますという時に流すと厳かな気持ちになり、神聖な気分が高まり、その日一日の中で犯したささいな意地悪なんかを懺悔しようかと思ったりします。 が、実際は懺悔なんかせず、さっさと寝ます。 今日の一句 「胎教に 良いといわれる モーツァルト よく聴くものの 腹は肉かな」 |
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