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日常生活でのできごとや思ったこと。
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★『父でもなく、城山三郎でもなく』/井上紀子
少し前に読んだ『そうか、もう君はいないのか』の影響により、今回は娘さんの書いたものを読んでみました。 またちょっと城山三郎という人物を好きになりました。 そして、また城山夫妻を好きになりました。 この夫妻の中に育った著者である娘さんもなかなか素敵な人です。 少し前までの彼女は「父親」と「城山三郎」を意識的に別個人としてきたようですが、綴られている数々のエピソードからはそのどちらであっても彼女の心へと大きな財産を残した人であることに違いないことが伺えます。 『指揮官たちの特攻 幸福は花びらのごとく』は随分前に買って、ひっそりと本棚で眠っている本です。 いよいよ、ぼちぼち読んでみようかな。 ★『ぼくは落ち着きがない』/長嶋有
図書部っていい!文芸部ではなくて、図書部。 なかったなー、私の通った高校には。 あったら入っていたかもしれないし、当時の私に発想力と実行力があったら発足していたかもしれない。 部活動として文科系を圧倒的に支持する私にとっては、体育会系にありがちな努力が報われたりスポ根を良しとする空気が流れる類のものと違って心を通わせることのできるちょっと嬉しくなる作品。 丁寧に書き込まれている会話や動作から図書部の日常というのもが鮮明に頭の中に浮かび、そこに自分も部員として存在しているような気分になりました。 机のけばだったところをむしってしまうことやクリップを繋いでしまうこと、コピー用紙に「ふっ」と息を吹きかけることなど日常って大半はこういう小さくてどうでもいいことの集合で成り立っている。 でも、そんな日常の中には、小さくも譲れぬ思想が生じさせる他者との隔たり、あるいは部分的な共通点から見い出されたささやかな共感、自意識からくる気恥かしさなど、深刻さの加減に関わらず波紋が投じられる瞬間が確かにある。 図書部に所属する個性的な面々が見せてくれるそれぞれの気持ちのあり様は馴染み深く、愛しみを抱きます。 生きづらさを抱えていても生きられる場所はどこかしらにあるものなのかもしれないなと前向きなことを思ったりもしました。 ちなにみ後に作家となる司書の先生の名が私と同じ苗字、それと部員に綾という子がいる偶然が私には印象的でした。 自分のお部屋へ帰ろうと実家のマンションの廊下を歩いていたら、なにやら地べたを這う黒い物体を目が捕えました。
( ´Д`)キモッ、ゴキブリか?と思ったけど、違っていた。 これ、きっとクワガタってやつ。 一瞬の逡巡うち、捕獲。 私の部屋へと連行しました。 ![]() 先ほどから私は一人暮らしではなくなりました。 声をかけてみますが、無反応です。 無関心を装うことで相手の気を引くということをしてみましたが、それにも引っかかりません。 名前をつけようか迷っています。 名前をつけると情が湧くというじゃないですか。 いつだったか姉が迷いこんできたカブトムシに「枇杷ちゃん」という名前を与え、ほんの数日間飼ったのですが、死んだ時に彼女泣いたんですよ。三十路になろうという大人が。 あれはびっくりしましたね。感受性が豊かっていうんですかね…。 あ、クワガタさんがカサコソとしています。 お腹が空いたのか? 餌は何を与えればよいのでしょう。 野菜はキャベツとピーマンとにんじんしかない。 とりあえずキャベツを与えてみます。 日曜日、清水に行ってきました。
お友達の息子さんへ誕生のお祝いの品をお届けに。 もう一人のお友達を私の運転に乗せて。 清水のお宅へお邪魔して、お祝いを渡し、一息着いた後、彼女の夫が息子さんの面倒を見ていてくれるというので女子3人で食事をしにおでかけ。 通称ドリプラ(正確にはエスパルスドリームプラザ)内にある清水すしミュージアムへ。 「駿河」というお店でお寿司を食べました。 ![]() その後、つい最近できたらしい観覧車を当たり前のようにスルーし、清水一洒落ているらしい「quatre epice」というcafeへ。 確かに洒落てた、このcafe。しかも、ケーキもコーヒーも美味しい。 そして怒涛のおしゃべり。 ![]() 「2時間程で帰るわ」と言った妻に「いいよ、いいよ、ゆっくりしておいでよ」と答えた彼女の夫に感謝し、甘え、夕方5時過ぎに再びお宅へ。 なんと、彼女の夫は私たちの分まで夕飯を用意してくれていました。 ![]() 生後100日経たぬ息子さんはご機嫌で、笑顔を見せながら、アムアムとよくおしゃべりをしてくれました。 オモチロイ。 彼とは20年後の婚姻の約束を交わしました。 その頃私はもう50歳ですが良いですかとの問いにも笑顔でアムアム。 そして、小指を立て、指きりを求めている風でした。もちろん、指きり。 久々の長距離ドライブ。 帰りは同行したお友達を駒込まで送り、首都高の渋滞にハマりましたが無事に帰宅。 楽しい楽しい一日でした。 ほうずき市に行かなかった。
ほぼ毎年出かけていた阿波踊り見物も行かなかった。 花火も見てないし、してない。 星空の観察もしてない。 ビアガーデンも行ってない。 プールに行ってない。もちろん海も。 流しそうめんもしてない。 やりたくないけど肝試しもしてない。 去年は二度着た浴衣、今年は袖を通してもない。 毎日、当たり前に暑い。 それでも子どもたちみたいに長い休暇もないので仕方なく仕事にでかける。 夏はまだ始まったばかりだというのになんだか長く感じる。 揺れた。
おや、と感じた時にはけっこうグラグラしてた。 急いで携帯を手にして実家に電話をかける。 姉がすぐに出てくれる。 「大丈夫かなー」という私に、姉が「母が大丈夫だぁ〜」と志村けんみたく言っていると教えてくれる。 ちょっと笑い、気持ちにゆとりが生まれる。 地震はすごい苦手。 一人暮らしなんてするんじゃなかったと後悔する一番の理由かもしれない。 地震があるとすぐに実家へ電話をする。電話をしてどうなるわけじゃないんだけどさ。 実家に住んでいる時は地震があると、揺れが収まった後も不安で眠れなくなったりするので年甲斐もなく、母のベッドに逃げ込んだりしてた。 今はいつでも逃げられるような格好にアワアワと着替えて、本棚から離れたところで小さくなって不安をやり過ごす。 地震は嫌だ。 ★『盆栽マイフェアレディ』/山崎マキコ
主人公繭子が就職先を蹴って、親元を勘当されてまで選んだのは盆栽道。 大学の先輩であり兄弟子にあたる松本と共に極貧修行生活を送る。 そんなある日、盆栽村を訪れた高野さんという男性に見初められた繭子は彼から信じられないくらいのお金を貢がれ、まさにマイフェアレディへの道を進みます。 そして、盆栽道か愛人道か選択を迫られる繭子。 彼女が選ぶのは極貧だけれど夢があり不器用ではあるけれど愛のある兄弟子松本と進む盆栽道。 ラストでは裏切られたと受け取った高野さんに繭子は軟禁されますが、無事に解放。 ストーリーとしてはやや陳腐さが否めない気がしますが、盆栽という世界の奥深さや職人気質などを垣間見れる点がこの小説の面白いところでした。 ★『教科書に載った小説』/佐藤雅彦 編
この本は、編者である佐藤雅彦さんが幼いころ教師をしていた父親の書斎にあった教科書を読んだところ、面白さを見出し、読み耽った体験をもとに作られた一冊。 12篇の小説と物語が収められてます。 とても短い作品でも一篇一篇堪能できました。 中でも私は安部公房の「良識派」や横光利一の「蠅」、あと古今著聞集の説話「竹生島の老僧、水練のこと」を面白いと感じました。 一時期、光村ライブラリーを何冊か読み、その時も思ったのですけれど、子どもの頃に教材としてあてがわれ義務的に読んでいたのとは違って、自発的に愉しむために読むのとではひとつひとつの作品の印象が違います。それに、著者の意図などを選択肢から選んだり、何百字かでまとめることを求められることもなく小説や物語を読むことができるということは、なんて自由で素敵なことなんだろうと実感します。 ただ、やはり教材として小説や物語を義務的に読んだ経験というのは、今こうして自由に読書を楽しめる基盤には少なくともなっているだと思います。 ★『グ、ア、ム』/本谷有希子
北陸に育った姉妹。 姉は大学進学で地元を飛び出し上京したものの超氷河期により就職できず東京でアルバイト生活。 この姉、自らの境遇をロストジェネレーションの申し子であることに起因を見出しており、さらに父親はそんな長女を我家のワーキングプアと呼ぶ。 対して妹は姉を反面教師として地元の高校を卒業した後、堅実な信用金庫へ就職、関西へ転勤。 普段離れ離れに暮らしている娘二人とその母がグアム旅行へ。父、留守番。 到着したグアムは滅多にないくらいの悪天候、更に母と妹に生理到来。 次から次に生じる不運に姉はいちいち苛立ち憤慨し、そんな姉に触れるのは真っ平で尚且つ治療した親不知が痛む妹。険悪ムードに陥りがちな中、娘二人の機嫌を損ねることがないようにひたすら気を遣う母。 そんな母の心労に報いようと姉妹はチャモロヴィレッジで不自然な平和的振る舞いをして見せます。 場所変われど人は変るものでもなく、家族ということでますます遠慮のない珍道中物語です。 父親の発言と様子、また飼い続けているウサギ(おもち)の存在感がかなりウケます。 ★『百万円と苦虫女』/タナダユキ
不運により刑事告訴され罰金刑を言い渡された鈴子ちゃん。 いったんは出た実家に身を寄せるものの居心地は悪く、考えた末に煩わしい人間関係を築かないよう百万円貯まったら次の地へ赴くという生活をすることに。 まずは海の家、次に桃の収穫、そしてホームセンターの園芸コーナーと各処でアルバイトを得て、暮らす鈴子ちゃん。 煩わしい人間関係を作らないよう転々としてきた鈴子ちゃんですが、ホームセンターのアルバイト先で出会った中島君という男の子に自分がなぜこういう生活をしているのかと胸の内を明かします。 そして、この二人は付き合い始めるのですが、中島君は鈴子ちゃんが百万円貯まってしまうと街を出て行ってしまうと思い彼女からお金を借りたりと画策。けれど、鈴子ちゃんはそんな彼の目的を知らないのでお金目当てで付き合ったのだと捉え、次なる街へ移る決心をします。中島君は必死で去りゆく鈴子ちゃんを追いかけますが、なんとすれ違い。 結局、鈴子ちゃんは次の街へと電車に乗ってしまい、おしまい。 海の家ではナンパに屈しなかったり、桃の収穫では桃娘に祭り上げられたりと辿り着いたそこここにドラマがあって、人間関係を築かずして生きることはやはり至難であるとわかります。 学校でいじめにあっている弟拓也の状況が随所に描かれ、最後の方で鈴子ちゃんはこの弟からの手紙で自分のズルさというものを痛感、自分の選んだ暮らし方はいろんな人から逃げていることだと気がつき、次の街では今度こそ自分の足で立つと決意します。 この弟の存在が鈴子ちゃんの選んだ生き方が現実的でなく、逃げであることを浮き彫りにする効果をなしているように思いました。 ちょうど明後日、7月19日より映画が公開されるそうです。 観に行くかどうしようか迷い中。 “人は簡単に間違い、簡単に雑踏の中の大切な相手を見失う”p.267 ある子に「ブクログ」なるものを教えてもらったのにしばらくうっちゃっていました。
はじめてみました。 上手に活用すればいいのでしょうが、登録のみに終始します。 http://booklog.jp/users/tapiocapudding 決まった!
芥川賞と直木賞。 ちょっと興奮します。 直木賞の予想はちょっと外してしまいましたが、芥川賞は当てました。 うん、いずれも私としては納得。 ★『百瀬、こっちを向いて。』/中田永一
4篇の話が収められてます。 うち表題作である「百瀬、こっちを向いて。」と「なみうちぎわ」という作品は、以前アンソロジーの中で既読のもの。 「キャベツ畑に彼の声」は今回初めて読みましたが、こちらも恋愛小説誌『Feel Love』というものに掲載されたものだそうです。 テープおこしのアルバイトをする久里子が耳にした声は通っている高校の国語教師のもの。先生が作家を副業していることを偶然に知った久里子はひみつの共有をする感じとなり、そこから恋心も生まれてゆきます。でも、実は先生が作家ではないことが発覚します。ちょっとしたどんでん返し的な感じが面白いし、久里子の恋が素直で素敵な作品でした。 「小梅が通る」は書下ろし。 小学校5年生の時に味わった体験がトラウマとなり、整った顔立ちにわざとブスメイクを施し高校へ通う柚木。そんな柚木が、山本寛太という一人の男の子を引き金に確かな友情と真摯な恋情を得てゆきます。柚木のような子が山本寛太や松代さん、土田さんと巡り合えたことを私はとても喜ばしく感じました。 どの作品にも「あぁ私はこの人が好きなんだ」と知ってしまった気がついてしまった瞬間の切なさや甘い敗北感があって、くすぐったくなりました。 そして、田辺君(「百瀬、こっちを向いて。」に登場)が言うようにやっぱり恋は素敵で尊いと私も思うのでした。 ★『時が滲む朝』(文學界6月号)/楊逸
また139回芥川賞候補作品。 固く重みのある内容でした。 時は天安門事件前後、舞台となるのは中国と日本。 難関を突破し大学進学を果たした浩遠と志強という青年が師を得て、民主化運動へと走り、些細なことから事件を起こし逮捕され、大学も除籍へと追い込まれます。 生真面目な二人は思想や信念によって挫折や喪失を手にすることになりますが、時間をかけて再起していきます。 歴史的なことにとんと疎く中国という国がどういう政権や文化などによって成立してきたのかという知識が蒙昧な私ですが、浩遠と志強の姿からは革命というものの至難や厄介さというもを感じます。 そして、根拠が不透明な社会不安などから人間模様を描くのではなく、歴史的事実をもとに描かれているせいか強みを感じ、心に迫るところがありました。 138回芥川賞の際も「ワンちゃん」にて候補に選ばれた楊逸さん。 今回受賞するような気が私はします。 ★『月食の日』(文學界5月号)/木村紅美
こちらも芥川賞候補作。 つい最近読んだ『恋人たち』でも視力を失った女性が描かれていたけれど、この作品の主人公となっている男性もそう。 そして、どちらにも彼らがみる夢(寝ている時にみるもの)とはどんなものなのかという話がありました。 彼らも夢をみる。 『恋人たち』で描かれた女性は成人する頃までは健常者として生きていたので色彩や風景というものの記憶があるようだったけれど、この作品の男性については物心つく前に視力を失っているため夢の中でも何か見えてるってことはないと…。 彼がみる夢について想像をめぐらしてみたけれど、まったくどんなものなのか想像できなかった。 場面・背景の唐突の変移にあっけにとられ、読みにくさを感じましたが、節々の描写は繊細で淡々とした印象。 読み始めた時、ラストには感動的だったり奇跡的なことが起こるのかもしれないと期待交じりで読んでいたけれど、途中からそういう類のものではないことがだんだんわかってきた。 読み終えた時、確かに「え、これで終わり?」と思ったけれど、その劇的でないところが力強いところなのかもしれない。 目が見えるか見えないかということで事象に対しての感覚の相違は確かにある。 けれど、どうであれ日常というのは誰にでもあって、そこで必要となる生活力持ち合わせているというのは逞しくて健全で力強いことだと私は思う。 誰に頼まれたわけでもないし、仕向けられたわけでもないのに自ら勝手に色々と煩わしい感情を派生させ、悶々と陰鬱になっては沈み、浮上することもなく、苛々とやり場のない焦燥感に苛まれ、情緒不安定振りに疲弊している今日この頃。
気がつけば、第139回芥川賞・直木賞の候補作品が先日発表になりました。 気分のすぐれなさは読書傾向にも顕れるのか一冊の本を読み終える前に別の本を読み始めたりと読み散らかしている近頃ですが、いちおう芥川賞候補作を読むことに。 ★『婚礼、葬礼、その他』(文學界3月号)/津村記久子 わらわらとテンポよく展開していき、小気味よく終わるストーリーでした。 予定していた旅行をキャンセルして出席した友人の結婚式の最中に飛び込んできた上司の親の葬儀の知らせ。 頼まれていた結婚式のスピーチも二次会の幹事も頼りない後輩に託して、お通夜へと駆けつける主人公ヨシノ。 面識もない故人の遺影とどんよりとにらめっこするヨシノの心中を去来する思いは滑稽でいて理。 儀式にあたっての人の心理やそこへ召喚されることの面白味やしがらみを存分に味わえる作品でした。 ★『恋人たち』/野中柊
このblogをupするまで著者を勘違いしていた。 ものすごい思い込みに驚き、自分にあきれる。 別の作家の作品だと思い込んで読んでいたのに、違和感を感ずることないままでした。 二組の恋人たちが織り成す物語。 一方は事故によって視力を失った女性舞子とその彼恭一、もう一方は絵描きの女性彩夏と中年男性大貫さん。 彩夏が偶然出逢った舞子を絵のモデルにすることで二組のカップルに交流が生まれます。 恋人同士としては双方ともに歪な関係性にある。 けれど、歪ながらも恋人であって、やはりそれ以外にはない関係性だとも思えてくる。 恋人という存在の在り方にこれという決まりはないのかもしれない。 ★『体育座りで、空を見上げて』/椰月美智子
和光妙子という少女の中学三年間を描いた作品。 時代背景は国鉄が民営化される時代だから私自身の中学校時代よりは前。 妙子の抱えるもやもやと行き場のない感情は、読んでいるうちに記憶としてだいぶ頼りなく、また眠っていた自身の中学校時代を彷彿とさせるものがありました。 私にとって三年間の中学生活におけるキラキラとした記憶はほとんどない。 スコート穿きたさに一応テニス部に入ってはいたけれど、部活動はおざなりで心血注ぐようなことは一切なかったし、あまり良い時期でなかったせいか学校生活自体を思い出すことが困難。 今でも会ったり話したりする同級生がいることが不思議なくらい。 そんな貴重な同級生と話をしていてもそんなことあったっけ?と覚えていないことの方が多い。 ただ、当時の自分自身のことはとてもよく覚えてる。 自分がどういう風にあろうとしたかとか物事をどう感じていたかとか。 思春期という時期だったせいなのか、環境のせいだったのか今でもわからないけれど、私はとっても気取っていたと思う。 同級生なんか子供だわと思うことにして、どこか馬鹿にして(賢くなかったのになんでそう思えていたのかは謎)、クラスに馴染めないことを悟られることが嫌で世界文学全集なんかを読み始め、一人でも平気という素振りを、そして文学少女を気取ってた。 今思うとくだらなくて、健気。 そうやって自分を守っていたんだろうな。 精一杯大人ぶって、可能な限りの去勢を張ったんだ思う。 そんないじらしい中学生だった自分自身を今でも覚えているある意味執念深い私には、この作品は安心できるものだったし、当時の自分を前よりもっと可愛がってあげたいなと思えるものでした。 自分自身を持て余し、やり場のないもやもやに苛まれている妙子ちゃんの姿を現代の中学生に読んでもらいたいなと思うけれど、時代背景が今とは異なるのでどうかな。 ただ、妙子ちゃんが思うように中学時代なんてものは長い棒線にたとえたらほんのぽっちり。 虫眼鏡で拡大しないとわかりもしないこと。 そして、拡大して見たそれが濃密だったとしても、わざわざ取り出して眺める必要はないのだ。 ★『ピロティ』/佐伯一麦
マンションの管理人を辞めることになった男性の一人語りで構成された小説です。 管理人としての一日の業務を引き継ぐ男性に説明する中で、住民の様子やら管理人自らの私生活などを織り込み、物語全体を紡ぎだしています。 質素なテーマながらもマンションという居住空間の持つ特性、また管理人という職業がいかなるものなのかを繊細にかつ克明に描ききっている作品だと思います。 マンションは落語でいうところの現代の長屋という点には頷けるところがありましたが、管理人が長屋の大家さんというのには、賛同できかねました。 だって、私が住むマンションの管理人さんは落語の中の大家さんとは相反する雰囲気ですもの。 私の住むマンションには、管理人さんが平日の午前中だけ来ますが、挨拶をしても反応いまいちだし、落語の大家さんのように良い意味でのお節介さは皆無なんですもの。 |
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