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日常生活でのできごとや思ったこと。
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★『体育座りで、空を見上げて』/椰月美智子
和光妙子という少女の中学三年間を描いた作品。 時代背景は国鉄が民営化される時代だから私自身の中学校時代よりは前。 妙子の抱えるもやもやと行き場のない感情は、読んでいるうちに記憶としてだいぶ頼りなく、また眠っていた自身の中学校時代を彷彿とさせるものがありました。 私にとって三年間の中学生活におけるキラキラとした記憶はほとんどない。 スコート穿きたさに一応テニス部に入ってはいたけれど、部活動はおざなりで心血注ぐようなことは一切なかったし、あまり良い時期でなかったせいか学校生活自体を思い出すことが困難。 今でも会ったり話したりする同級生がいることが不思議なくらい。 そんな貴重な同級生と話をしていてもそんなことあったっけ?と覚えていないことの方が多い。 ただ、当時の自分自身のことはとてもよく覚えてる。 自分がどういう風にあろうとしたかとか物事をどう感じていたかとか。 思春期という時期だったせいなのか、環境のせいだったのか今でもわからないけれど、私はとっても気取っていたと思う。 同級生なんか子供だわと思うことにして、どこか馬鹿にして(賢くなかったのになんでそう思えていたのかは謎)、クラスに馴染めないことを悟られることが嫌で世界文学全集なんかを読み始め、一人でも平気という素振りを、そして文学少女を気取ってた。 今思うとくだらなくて、健気。 そうやって自分を守っていたんだろうな。 精一杯大人ぶって、可能な限りの去勢を張ったんだ思う。 そんないじらしい中学生だった自分自身を今でも覚えているある意味執念深い私には、この作品は安心できるものだったし、当時の自分を前よりもっと可愛がってあげたいなと思えるものでした。 自分自身を持て余し、やり場のないもやもやに苛まれている妙子ちゃんの姿を現代の中学生に読んでもらいたいなと思うけれど、時代背景が今とは異なるのでどうかな。 ただ、妙子ちゃんが思うように中学時代なんてものは長い棒線にたとえたらほんのぽっちり。 虫眼鏡で拡大しないとわかりもしないこと。 そして、拡大して見たそれが濃密だったとしても、わざわざ取り出して眺める必要はないのだ。 ★『ピロティ』/佐伯一麦
マンションの管理人を辞めることになった男性の一人語りで構成された小説です。 管理人としての一日の業務を引き継ぐ男性に説明する中で、住民の様子やら管理人自らの私生活などを織り込み、物語全体を紡ぎだしています。 質素なテーマながらもマンションという居住空間の持つ特性、また管理人という職業がいかなるものなのかを繊細にかつ克明に描ききっている作品だと思います。 マンションは落語でいうところの現代の長屋という点には頷けるところがありましたが、管理人が長屋の大家さんというのには、賛同できかねました。 だって、私が住むマンションの管理人さんは落語の中の大家さんとは相反する雰囲気ですもの。 私の住むマンションには、管理人さんが平日の午前中だけ来ますが、挨拶をしても反応いまいちだし、落語の大家さんのように良い意味でのお節介さは皆無なんですもの。 |
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