極刑について考える
★『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書 736)/篠田博之

「極刑」、我が国で言うなら「死刑」についてどう思うか…。
被害者感情を慮るならば、「極刑以上の刑を」という気持ちが生じることはおそらく必然的なことなのだと思います。
死を持って償う…それってどうなの?それってどういうこと?果たして、死刑という刑罰を持って罪が償えるものなの?・・・そういうことを、考えさせられます。
また「死刑」という制度が、犯罪の“抑止”となるのかというと、おそらくそうではないことをこの本を読む限りでは思います。
でも、それは一部の人間にとって“抑止”とならないだけなのかもしれず、一概には言えといういうのが実情だとも思います。(むしろ、そう思いたい)

この本で主立って扱われている人物は、宮崎勤、小林薫、宅間守の3氏です。
この3氏の内、現時点で既に死刑が執行されているのは宮崎勤、宅間守の2氏。
宅間守には獄中結婚を望んだ女性の存在が2名いて、実際その内の1人が彼と獄中結婚をし、死刑確定後も身内として接見、更に異例とも言える速さで執行された死刑後は妻として遺体の引き取りをもしています。
なぜあえて両親の猛反対を受けてまで、世間の非難を浴びてまで、投獄の身の人間との結婚を望み、それを実行するのか。私としては婚姻関係を結んだその女性に対し、非難をするという以前に「なぜ」そうするのか、そのところが知りたいです。
そして、想像を絶する犯罪を犯した彼らに対しても「なぜ」ということが先立ちます。
社会規範に対する希薄さがあったのは紛れもないことであると思う。
では、この本で語られるような生い立ち、家庭環境などが彼らをここまでの犯罪へと至らしめたのか…というと、それを完全に認める気にはならず、否定したくもなります。

唯一死刑執行となっていない小林薫は、死刑判決に対し自ら控訴取り下げましたが、控訴取り下げ無効の申し立てをするとか…。ただ、それが判決そのものが不服なのではなく、あくまでもその理由にあるという点に彼の犯罪意識の姿勢をうかがい知ることとなります。

重犯罪の裏側に潜むものがなんなのか、それとも潜むものなんてなくて実際は単なる快楽主義、短絡的、自己本位なものなのか、そういった「なんなのか」ということを私は知りたくなります。
そして、他人事のように思いがちな重犯罪を私は意外にそうでもないと思うようにしています。
いつ自分が加害者に、そして被害者になるやもしれぬと。
だから、そのいずれにもならないうちはラッキーなのだと思います。

裁判員制度なるものが導入される今となっては、考えたくないけれど重犯罪や極刑についてもっともっと個人個人が考えなくてはならないことだと思います。
05/16 02:11 |  | CM:2 | TB:0
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