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日常生活でのできごとや思ったこと。
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『絵本の本』より2冊読む。
◆『スーホの白い馬 モンゴル民話』(日本傑作絵本シリーズ)/大塚勇三 再話・赤羽末吉 画 献身的という一言で片付けたらきっと駄目なんだろうな。 ◆『やまなしもぎ』(日本傑作絵本シリーズ)/平野直 再話・太田大八 画 3回繰り返すことの効果、なるほど。沼の主の「げろり」は怖すぎる。結語、“どんどはらい”。 仕事上ということで今年度から絵本など読むようにしていたけれど、実はその仕事を徐々にそれとなくフェードアウト中。 本を読むということ(絵本であれ、何であれ)は私にとって、自分のためでしかない!?とつくづく思い知った感じ。己の欲求というのが何よりも先立っちゃうんですね。 いつか、誰かのためにとせっせと本を読むということができるようになるのでしょうか。 誰かの役に立つためにと本を読むということができずにいます。 ★『もう私のことはわからないのだけれど』/姫野カオルコ
病気の家族やお年寄りの介護を抱えた人の胸の内を描いたショートショート。 あくまでもフィクションなのだけれど、それぞれの環境設定というのは実在の人物がモデルがいるのかしらん?と思うほど具体的。でも、巻末には登場人物や語り手のプロフィールは架空であるとありました。 私自身、介護というものを体験したことがないからこんなことを言うのはおこがましいけれど、介護をしていて孤独を感じた時などにこの本を読んだらほんの少しかもしれないけれど、救われるんじゃないかな。 介護される側も人間ならば、する側も人間。互いに感情がありますから時にはやり場のない気持ちを抱え持ち、人には言えないようなことを考えてしまったりすることだってあると思います。 だけれど、自分が抱えた負の感情というのはなかなか他者にはさらけることはできないもので、よっぽど信頼の置ける相手でない限り、感情を吐露したり、相談したりはできないものです。 その点、「本」に向かうという行為では、こんなこと言ってどう思われるかな?と相手の反応を伺うような余計な心配は無用ですし、自分にとって都合のいいように理解・解釈することも、あるいは自分にとって肯定的なことだけを吸収することができます。 本を読むというのには、思っている以上に気持ちやらなにやらいろいろなことにゆとりがないとなかなかできないことだけれど、一日の中でこのショートショートの一編分だけでいいからそれを読む時間を自分に与えてあげることができたなら、翌日分のエネルギーくらいはチャージできそうな気がする。 姫野カオルコの幅をまたしても見た感じのする作品でした。 |
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